中学受験のために夜遅くまで塾で対策に励む小学生。大学で「一般教養なんて適当でいいんだよ」なんて言う学生。彼らは何のために勉強しているんだろう。
どちらも身近なところにいる子だけど、私は双方に違和感を覚えています。
職場での噂話にうんざり
私は会社員の傍らアメリカの大学院の単位を取り、大学の教員を経験して、現在は会計事務所に勤めています。(←聞こえはいいけど私自身はただのお笑い好きのおばさん)
今の職場には噂話が大好きなおばさんがいて、どこの塾がどうとか、あの高校の進路は…とか、私が黙っていてもいろんな情報が聞こえてきます^ ^; 正直うんざり。
いかに一般ピーポー達が「いい学歴」「いい就職先」を重視しているかがよく分かります。
あのおばさんの子ども達は、家で勉強や塾のことを口うるさく言われてるんだろうな…と想像したり。
まぁ確かに、受験制度や教育制度の改革が進められているとは言っても、私たちが経験してきた受験から変わった部分なんてまだまだ少しですもんね。仕方ない部分はあります。
ただ、何のために勉強するのか、何を大切にしたいのかという根本的な部分において、大事なものが欠けているように感じます。
「勉強が必要な理由」にあなたは答えを持っていますか?
勉強が必要な理由について、あくまでも私なりの解だけど、次のような感じです。
幅広い教養を身につけることで、余計な先入観を持たずに世の中を見られるようになるため。
そして、優越感も劣等感も持たずに、相手と対等にコミュニケーションを取れるようになるため。
受験対策に励んで、いわゆる「いい大学」に行って、一流企業に就職したとしても、将来にわたって満足いくキャリアを築けるかどうかはわからないし、精神的に豊かになれるかどうかはわかりません。
日本では、大学受験の前から文系・理系の選択をしたり、受験する学部を選んだりするのが当たり前だけど、世界を見ると大学の初めの2年は教養科目ばかりで、専門的な科目は少なくとも3年目以降や修士課程に上がってから、というケースも多いです。
多様な文化や考え方に触れてもいないうちから適性なんて分かるわけがないから、まずは教養を身につけてから。←これ、私は賛成です。
我が子に望むこと
私自身は自分で考えて、自分の言葉で意見を伝えられる人でありたいし、子どもにもそうなってもらいたいです。どんな職業に就くとしてもね。
進学については、子どもが大学に行くとしても別に国内にはこだわりません。面白そう!と思えることをやってほしいです。(奨学金なんかの制度が充実してるとこ希望だけど…)
大人からすると、つい専門性を磨いて…とか考えてしまいがちだけど、かつて大学で一般教養科目を適当にやっつけてきた影響があるんじゃないかな。「試験や就職に関係ないことは大事じゃない」こたいな。これ、すごく日本的です。
日本人は芸術分野や教養科目を重視しない傾向が強いです。
でも、一般教養を英語にすると「リベラルアーツ」。リベラルとは自由。つまり、自由を得るための学問なんですよね~。心を自由にするというか。だから大事。
噂話が大好きなおばさんに何を言われても、ディスられても、我が子にはいろんな角度から物事を見られるような大人になってもらいたいものです。